七沢校舎長によるチュートリアル(なぜいじめや差別がいけないのか)

2024.10.17

今日のD組テュートリアルは、校舎長七沢による「なぜいじめや差別がいけないのか」についてのテーマでした。
 上記のテーマは, 医学部の面接・小論文試験でも毎年のように問われている頻出の質問です。今年2024年の順天堂大学A方式の一次試験小論文(写真を見て答える問題)でも近い内容の問題が出題されました。

 この問題に対しては, 確かに単純かつ当然の回答として, 「人間は皆平等でなければならないから」とか, 「弱いものは可哀想だから, 守るのが当然の義務だ」などが考えられますが, そもそも, なぜ, 平等でなければならない, 弱いものは守らなければならないのでしょうか。
自然界の掟としては, 「弱肉強食」が基本だと考えられています。人間も動物である以上, 本来は強いものが弱いものを淘汰していくのが基本で, 「平等」とか「弱者保護」などというのは綺麗事にすぎないと考える人もいるかと思います。または, いじめられる側にも原因があり, 特に, 皆と違う行動や言動, 態度をとるから攻撃されるのであって, 協調性がないせいで排除されるのは集団生活においては当然のこと, などと考える人もいるかもしれません。
 ここで, 少し観点を変えてみましょう。自然界は本当に「弱肉強食」なのでしょうか?確かに昔どこかで見たことがある食物連鎖のピラミッドでは, 地上ではライオンやトラが, 空中ではワシやタカが, 水中ではサメやシャチが上位に挙げられていて, 強いものが生き残るのが当然のように思われます。しかし, その上位者は皆, 個体数が少なく, 中には絶滅が危惧されているものが少なくありません。本当の強者なら絶滅危惧種にはならないと思いませんか?実は, 食物連鎖の中では皆必ず食べられているのです。ライオンやワシも死ねばハイエナやツグミに食べられるでしょうし, 地中の微生物やバクテリアにより‘捕食(や分解)’されてしまいます。そういった意味では「階級」ではなく, ただ「連鎖」の中の一つなのです。そして, どの生物も寿命がくれば必ず死にますから, 個体の生存期間の長さは強さの尺度にはなりません。個体レベルでの寿命の長さはさほど影響はないのです。というのは, 自然界においては‘種’のレベルで強者と弱者を判定すべき(?)で, 強者は個体数の多いもの, 弱者は個体数の少ないもの, となるように解釈が可能です。ところが, 同じ環境では, 個体数が一定数を超えると個体あたりの生息面積が小さくなり, 食糧不足に陥り, いずれ個体数は減少していくわけで, 絶滅さえしなければ, 強者と弱者はある期間の中で入れ替わります。結局は, 個体数自体に価値がないのと同じことで, 長い目で見れば強者も弱者もありません。

 そこで, もう一度‘種’のレベルで考えてみましょう。‘種’のレベルでは「強者?」は次世代に遺伝子を数多く残すものです。そのためには, 「適者生存」が鍵となります。そして「適者生存」では, 個体の生存期間が長いことに意味があるわけではなく, 遺伝子が次世代に受け継がれることに意味があるのです。ですから, ある特定の個体が長生きしようがしまいが, 問題にはならないのです。むしろ, 50年生きた個体が1個の子孫を残したのと, 10年しか生きなかった個体が10個の個体を残した場合では, 後者の方が「適者」として「生存」したことになるのです。
 さて, では「強者」?として環境に適応し, 子孫を残すために「生存」するためにはどうすれば良いのでしょうか。

 人間は一人裸でジャングルに放り出されたら生きてはいけません。にもかかわらず人間は地球上の至る所に生存しています。つまり, 種として成功しているとも言えるのですが, それはなぜでしょうか。例えば, 鎌状赤血球症という慢性溶血性貧血を患う人たちが一定数存在します。彼らは一見不利な条件で生活を強いられているようにもとられますが, 実は, マラリアには罹りにくいのです。ですからマラリアの蔓延する環境においては適応していると言えます。これは, 人間の知恵ではありません。生物として, 環境に適応する種が残った, つまり淘汰されずに残ったことになるのです。現在の環境において不利とも言える形質が, 将来環境が変わると有利な形質となる, いう結果にもなるのです。このことからも「多様性」がいかに重要であることかがわかります。仮に皆が同じ性質であったら, 環境が変わった瞬間にその種は滅んでしまいます。

一方, 極端に肌の色が黒い人種は紫外線の少ない環境においては, ビタミンDの生成ができずカルシウムの吸収に支障が生じます。カルシウム不足による‘くる病’の原因ともなります。また, 逆に極端に白い肌の人種は紫外線の強い環境では皮膚がんや眼がんにかかるリスクが増大します。それぞれ, 地球上には不利な環境が存在することになります。にもかかわらず, 不利な環境で生き延びることを可能にしているのは, 情報により, 不利な環境でも適応していく対策が講じられているのです。そのために, 人間は協力して生きています。そして, 協力には意思伝達, つまり, 情報共有が伴うのです。人間は情報共有に基づいた社会を作ることで, つまり文明という知恵によって, 「弱者」を生かすことを可能にしてきたわけです。
要するに, いじめや差別は, 種が生き残るための貴重な‘情報’を排除してしまう非常に愚かな行為だということになるのです。

上記のことを踏まえて, 順天堂大学医学部の小論文の解答例を書いてみました。
<解答例>
 大人たちが大変な苦労をして、白人と黒人の数を半々にしてくれました。そのおかげでマジョリティとかマイノリティという区分がなくなりました。それはそれで良かったのだと思います。なぜなら、いじめや差別はマジョリティ側から見た「自分たちとは違う少数派」に対して犯される態度や行為であることが多いからです。
 ここは学校です。僕たちが大人になって社会に出ていくために必要なことを学ぶ場所です。勉強する目的は、テストでいい点を取ったり、競争に勝つことだけではないはずです。何をなぜ学ぶのかを学ぶ場でもあるはずです。「なぜいじめや差別がいけないのか」は、ただ単に多数派による弱いものいじめが、相手が可哀想だからとか、その行為自体が卑怯だから、だけではないと思います。
この前、理科の授業で生物の多様性の勉強をしました。生物が生き残るためには、環境に適応しなければなりません。環境に適応するためには、遺伝子が変異して以前は適応できなかった生物の中に適応できる遺伝子を持つものが生まれることが必要だと学びました。現在の環境で強い個体でも環境が変われば弱くなることもあり得ます。生物ができるだけ違った個体と交わることが必要だとすれば、人間は遺伝子の交雑だけでなく、情報を伝達し合い、互いに協力することができる種です。だから、人と違うことは攻撃の対象にすべきではなく、大切にするべきだということを理科の授業から応用できる、さらに、社会の授業では必ずしも多数決が集団を維持するための唯一の方法でなく、時には少数派の意見も尊重する必要があることも学びました。
僕たちは、自然界の法則や、人間社会の仕組みや課題、環境など、人間がこの世で生き残るために必要な様々なことを学ばなければならないと思います。そのために、僕たちは「何のために学ぶのか」を学ぶために学校に通い、そして、未来の人間社会をより良くするために勉強していきたいと思います。

医学部専門予備校D組 校舎長 七沢英文

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