今日のD組チュートリアルは、校舎長七沢によるプライマリケア医についての講義でした。
医学部の入試面接では、①医師志望理由、②大学志望理由、そして③将来の抱負、について聞かれることが多いです。大学側からすると当然ですが、まずは医師という職業をなぜ選択するのか、医師という職業がどんなものかある程度理解できているのかを問うてみたいでしょう。単に、社会的地位が高く、経済的にも収入が多く、おまけに他人から感謝される職業だからという理由で医学部に入学しても、実際には病人に寄り添い、時には死の淵にいる人を慰め、看取るといった仕事はテレビドラマや映画で見るようなかっこいい職業とはかけ離れた仕事だとわかると、「こんなはずじゃなかった」なんてことになって、ただでさえ医師になるための勉強は大変なのに、モティベーションを維持できなくなってしまう、といった事例は少なくありません。毎年数%以上の医学生が留年してしまったり、中には退学(放校)になる人もいますし、最悪の場合には自殺してしまったりしているのです。よほど志が高く、意思が強くないと医師免許まで辿り着けない厳しい世界だと思います。
一方、親が医師であったり、身近に医師がいる環境で育った人は、医師という仕事が世間で思われているほどかっこいい仕事ではないことをよくわかっています。医学部の1年次後期又は2年次には人体解剖や、訪問診療実習(身寄りのない一人暮らしの寝たきり高齢者の自宅の様子を想像できますか?)など普通の職業では経験しないような非日常世界で医学・医療を学ぶことになると予想でき覚悟もしているので、大学側からすると安心なわけです。もちろん、ただ親が医師というだけで、やりがいや責任には無頓着である人もいるでしょうから、面接官がそのような気配を感じると態度は硬化し、厳しい質問が出てくることにもなります。
医学部受験指導の現場では、面接時に「親が医師だから」は禁句だと教えるトンチンカンな指導者も散見されますが、はたして医師志望理由に親の職業を継ぎたいと答えることにリスクはないのでしょうか。
独善的な指導になることを極力避けるため、医学教育の専門の先生方から御指南いただきました。これまで、大変光栄なことに、故日野原重明先生、故泉孝英先生、神津忠彦先生、波利井清紀先生、福島統先生、中島宏昭先生など、医学教育の重鎮である諸先生方から直接お話を伺う機会がありました。先生方のお話を総合して判断するに、①親が医師であってもなくても有利不利はない。大事なのは医師という職業が患者の命や生活を守る責任の重い仕事であることを覚悟の上、そこにやりがいを感じられる動機が大切、②将来何科に行くかは今決めていなくてよい。むしろ決めてかかる方が不自然(高校で医学医療を学ぶ機会はほぼ皆無のはずだから)、③臨床医であっても研究精神は大切、④大学に残ることをアピールしたところでさほどの効果はない、逆に、開業医である親の後継を真面目に考えている人は好感が持てる、などです。ただ、いずれにしてもしっかりとした動機と回答の根拠が必要で、質問に対する回答テンプレートをただ暗記しているだけでは何を答えても評価は低い、とのことです。そもそも18、19歳の学生が将来の職業上の倫理観や責任感、社会的意義を長期的展望に立って考えることに無理はあるし、ましてや死生観や生活観などに思考が及ぶはずはないのです。結局、ウィリアム=オスラー博士の唱える「医は、サイエンスに支えられたアートである」(日野原重明訳)を具現する資質が備わっているかを考えて回答するのが王道ということになるのだと思います。すなわち、論理的思考、自然科学に対する興味関心、そしてそれらを追求する精神力(努力、忍耐、継続など)。対象が人間であることから、思いやり、奉仕の精神、協調性、そしてそれらを支える想像力(人格、社会性、一般常識など)。さらに、言葉と態度で患者に接するわけですから、コミュニケーション力が大切。となるわけです。簡単に言えば、真面目な性格で、理系教科ができて、かつ、人と接するのが上手な人は面接の評価が高くなるわけです。
話は変わって、地域医療について。親が開業医で後を継ぎたいと思っている人は、いわゆる町医者の役割を知っておくと有利です。プライマリ・ケア(Primary care)とは、簡単に言えば普段から健康上の問題について何でも診てくれ、相談に乗ってくれる身近な医師(主に開業医)による医療です。特定の病気だけを診る専門医療とは違って、急に体の調子が悪くなったような緊急の場合の対応から健康診断の結果についての相談までを行う医療のことを指します。
プライマリ・ケアを行う医師は、そのための専門的なトレーニングを受け、患者が抱える様々な問題にいつでも幅広く対処できる能力のある全身を診る専門医です。必要な時は最適な専門医を紹介したり、在宅診療や地域の保健・予防など住民の健康を守る役割も担っています。また、プライマリ・ケアは全ての臨床医に必要な能力とされますが、日本では欧米と異なり長い間プライマリ・ケア医としてのスペシャリストは存在せず、開業医や一般病院の外来などで一般の内科医、小児科医などがこの役目を担ってきました。近年、病院と診療所などが密接な連携を取る病診連携が重視され、だんだんにプライマリ・ケアを専門にする医師も増えて来ました。
各専門診療科別の専門医と区別して総合医(ジェネラリスト)と呼ばれます。家庭医療、総合診療、総合内科などがこの範疇に入ります。2010年に日本プライマリ・ケア学会と日本家庭医療学会、日本総合診療医学会が合併し「日本プライマリ・ケア連合学会」が発足しました。総合医、家庭医の役割の重要性が高まってきた表れと見られます。
米国国立科学アカデミー(National Academy of Sciences, NAS)による次の定義を紹介します。
Primary care is the provision of integrated, accessible health care services by physicians and their health care teams who are accountable for addressing a large majority of personal health care needs, developing a sustained partnership with patients, and practicing in the context of family and community.
『primary careとは、患者の抱える問題の大部分に対処でき、かつ継続的なパートナーシップを築き、家族及び地域という枠組みの中で責任を持って診療する臨床医によって提供される、総合性と受診のしやすさを特徴とするヘルスケアサービスである』
そして、当該学会によれば、プライマリケアには5つの要件があると謳われています。
(1)Accessibility(近接性)
近接制とは、いわゆる「かかりやすさ」のことです。これは、
「1.地理的、2.経済的、3.時間的、4.精神的」の4つの側面で表されています。文字通り「地理的」に近く足を運びやすいことは地域の医療機関にとって不可欠で、「かかりやすさ」のもっとも大きな要素といえます。高齢社会を迎えた現在、高齢者や障害を持つ人たちにも安心して受診してもらえるようなバリアフリーを目指すことも重要な視点かもしれません。また、受診する際、支払いについてある程度予測が立つこともかかりやすい一面といえます。そもそもプライマリケアの現場で支払いに戸惑うほど高額な検査や治療は行われていませんが、それだけではなく、様々な社会福祉的なサービスの利用をしやすい点も「経済的」なかかりやすさを追求したものといえます。さらに、夜間の発熱など、突然の症状にも対応することは日常的な医療として提供されるべきサービスであり、「時間的」なかかりやすさを目指すことも求められています。多くの人たちにとってはじめて医療機関を受診し、身体の問題を相談するということは勇気のいることかもしれません。行き届いた声かけや配慮など、気軽に利用することができる身近な医療機関を追求していくことが求められているでしょう。
(2)Comprehensiveness(包括性)
包括制とは、患者の性別や年齢などを問わず、どんな訴えにも対応するということです。
1.予防から治療,リハビリテーションまで
2.全人的医療
3.Commondiseaseを中心とした全科的医療
4.小児から老人まで
の4点が主なポイントです。
日常的な問題について、性別や年齢、臓器にとらわれることなく診療を行うことがあげられます。またワクチン接種をはじめ、疾病の生じる前の段階に予防的な取り組みを行うことも大きな役割の一つだといえます。適切な予防が行われた場合、疾病の発生や重症化を抑えることが期待されます。また増大する医療費を抑制することもできます。一方、認知症や後遺症など日常的な障害がある場合も、リハビリテーションや生活援助など、よりよく生活するための介入を行い、疾病や隣害と上手く付き合っていくことも重要な視点であると思われます。
とは言え、地域の中でそれぞれの医師が個別に実践することには限界がありますが、ネットワークを広げることで幅広い視点からニーズに応えていくことが求められます。
(3)Coordination(協調性)
協調性とは、次の4つのポイントで説明されます。
1.専門医との密接な関係
2.チーム・メンバーとの協調
3.Patientrequestapproach (住民との協調)
4.社会的医療資源の活用
(2)の包括性について、かかりつけ医がすべて自分で対応することは、当然できません。そこで、ネットワークを活用して、対応することが求められます。必要に応じて、大病院の専門医を紹介することも当然必要です。他の専門職の手を借りたチーム医療が必要なる場合もあります。また、地域のケアマネージャー、訪問看護機関などの多職種連携や、場合によっては、地域住民の協力も得ながら、地域全体でのケアが必要なることもあります。これは地域包括ケアシステム構想において示されている方向性とも合致しています。
さらに、プライマリ・ケアにおいてこれらの協調、連携が実施されることは、社会全体としての医療資源の最適配分、効率的活用にもつながるでしょう。
(4)Continuity(継続性)
1.「ゆりかごから墓場まで」
2.病気の時も健康な時も
3.病気の時は外来·病棟·外来へと継続的に
3つのポイントの中で継続性を端的に表す言葉は「ゆりかごから墓場まで」でしょう。出産時、乳幼児のときから、老齢、死亡まで、同じ医療機関で相談できれば、患者にとっては理想的です。また、病気になったときだけではなく、健康なときから、予防指導などをおこなうこと、外来から病棟、そして在宅ケアなどへとスムーズに連携させることなども、継続性の理想に含まれます。
(5)Accountability(責任性)
1.医療内容の監査システム
2.生涯教育
3.患者への十分な説明
例えば、医療内容の質をチェック、見直しできる監査のシステムを設けること、最新の医療知識を吸収し、技術を向上させることなどが、医療従事者としての責任に含まれます。医療者としての「責任性」はプライマリ・ケアに限ったことではありませんが、『充分な説明の中で受療者との意思疎通を行うこと』や、『医療内容の質の維持、見直し』はもちろんのこと、『プライマリ・ケアに関わる医療者の生涯教育や、今後、プライマリ・ケアの現場に出る医療者の後進育成』についても貢任をもって実践していくことが今後もより一層求められているといえます。
このような視点に立ち、医療、福祉、介護、保健を提供し続けていくこと(「継続性」)がプライマリ・ケアの根幹をなす部分だといえます。
面接や小論文で「地域医療」とは何かと問われたとき、上記の要件を理解した上で、医療機関が行政や地域住民と協働して地域の特性(文化)に合わせて行う医療のことであると回答すれば、一定の評価は得られるはずです。
長野県佐久市にある佐久総合病院の取り組みを参考にしてみると具体例の提示が可能となります。プライマリ・ヘルスケアの父とも言える若月俊一医師の著書「村で病気と戦う」(岩波新書)は地域医療のパイブルとも言われています。また、色平哲郎医師の日経メディカルOnlineのプログ、著書「農村医療から世界を診る」(あけび書房)は広い観点から地域医療のあり方を模索しています。是非読んでみてください。