今日のチュートリアルは, 慶應義塾大学医学部2023年入試の小論文の課題文となった寺田寅彦「科学者とあたま」(平凡社)を読みながら, 医師も科学者である以上, 頭がよくなければならないと同時に頭が悪くなければならない, という命題について皆で考えてみました。
科学者は現象を分析し, 一連の理論を構築するために, 正確かつ緻密な頭脳を要します。その意味で科学者は確かに頭が良くなければならないのです。一方、常識的に分かりきった事象に対し, 何かしら疑問を持ち, 苦吟しつつ探究する姿勢が求められます。時に盲目的に自分の興味の対象に没頭することも必要です。そういう意味では, 科学者は頭が悪くなければなりません。一見相反する命題ではありますが, 一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである, と本書は語ります。もちろん, 「あたま」の定義が曖昧である以上, どうしても上記のようなパラドックスが生じてしまうのですが, その矛盾を敢えて受け入れ, 物理学者でもあった寺田寅彦の言わんとすることを理解していきたいと思います。
本書によると,
〈頭のいい人=足の速い旅人〉人より先に人のまだ行かない処へ行き着く代わりに、途中の道端や脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。一方、〈頭の悪い人=足ののろい人〉後から遅れて来て訳もなくその大事な宝物を拾って行く。〉
頭が良い:論理の道筋を立て、混乱の中にあっても部分と全体の関係性を見失わないために正確かつ緻密な頭脳が必要。また、紛糾する可能性の岐路に立ったときに判断するべき前途を見通す内察と直観力が求められる。という意味で頭が良くなければならない。
頭が悪い;一般には当然と思われる事象に何かしら不可解な疑問を認め、愚直に苦吟する態度も必要。
頭が良い:結論に早く到達できるが、途中に些細ではあるが重要な事象を見逃す
頭が悪い:時間がかかり、ときに遠回りするが、重要な事象に気づく
頭が良い:見通しが効くので道筋の前途にある困難を予想し、体験を回避したいと考え、前進する勇気を阻喪することがある
頭が悪い:前途が見えないために楽観的になりやすいので、難関に出会ってもなんとか切り抜ける。
頭が良い:頭脳の力を過信しやすい。自然現象が、自分の考えと一致しない場合に自然の方が間違っていると考える傾向が生じやすい。一方で、結果が自分の考えと位置した場合にも実は考えとは別の要因によって生じた偶然の結果かもしれないという可能性を苦吟しない傾向を持つ
頭が悪い:頭の良い人ならばダメな結論が見えている事象を、解明するまで愚直に探究する。結果的にダメだとわかる頃までに、ダメではない糸口を見つけているかもしれない。自然は書卓の前で空論を人から遠のき、赤裸のまま自然に飛び込んでくる人に神秘の扉を開いてくれることが多い。
頭が良い:恋ができない。恋は盲目であるから。
頭が悪い:自然を恋人にできる。自然は恋人にのみ真心を打ち明ける
頭が良い:批評家には適するが、行為の人にはなれない。全ての行為には危険が伴うから。失敗を恐れる人は科学者にはなれない。他人の仕事の粗が目につき、その結果、自然に対する他者のすることが愚かに見え、自分が誰よりも賢いと錯覚し、向上心に緩みができ進歩が止まる。また、「人間は過誤の動物である」ことを忘れている。
頭が悪い:他人の仕事が皆立派に見え、同時に、自分にもできる気がするので自分の向上心を刺激する。時に愚かであるために大胆な実験をし大胆な理論を打ち立てるが、結果として大きな間違いを犯していてもわずかな割合ではあるが真理に至り、学会になんらかの貢献をすることもありうる。
頭が良い:仕事の成果が労力に対して価値が低いと悟ると初めから着手しない
頭が悪い:費用対効果の見込みがつかないので、がむしゃらに進行するため、予期もしなかった重大な結論に至ることがある。
頭が良い:科学が人間の叡智の全てだという錯覚に陥る。
ということになるようです。
ここで、医師という職業について考えてみたいと思います。医師は、人体の仕組みや疾病、創傷などの原因や治療法、さらに予防法について、医学という科学で分析する, という科学者の側面を持っています。医学の未知の領域は宇宙よりも広いとも言われ、また、発症の過程や症状など, さらには命とか生活といった側面は患者一人一人で異なります。当然のことですが, 医学研究の分野はもちろん、臨床においても、正確かつ緻密な頭脳は必要だと思います。症状や検査の結果で仮説にあたる鑑別診断を行い, さらに必要な検査をして検証し, その結果として, 最終的に確定診断に至るのでしょう。しかし, その道筋には多くの些細ではありますが重大な事象が隠れていることがあり得ると思います。診断という結論に至るためには無駄がなく、迅速な方法が求められることは当然だと思います。しかし, もしかしたら重篤な疾患に至る小さな芽を見過ごしているかもしれません。さらに, 患者という人間を見る以上, 親身になって対応しなければならないこともあるはずです。そこに利益や効率といった概念は相入れないのです。頭が良いだけでは患者に寄り添うことはできません。時には馬鹿になって患者のために尽くすこともあるでしょう。つまり, 医師は頭が良くなくてはならないと同時に, 頭が悪くなくてはならない職業でもあるのだと私は考えます。
アフガニスタンから訪日し, 静岡県島田市で開業している医師に会う機会がありました。彼の名前はレシャード・カレッド。初めは国費留学で日本に来て, 医師免許を取った後は母国に帰るつもりだったそうですが, 母国が当時のソ連の侵攻を受け, その後も内戦やゲリラ活動の激化のため政情が悪化し, 帰国すれば軍役を課されるという事態となり, 帰国を断念する羽目になりました。そこで, 日本に長期間滞在し, 医師として働くことを決意し, 京都大学医学部を卒業, 日本の医師免許を取得し, 帰化もしました。現在は島田市医師会長として地域医療に貢献しつつ, 母国アフガニスタンの支援活動をしています。
そのレシャード先生が, 医学や医療の「医」という漢字は昔「醫」であり, その一部である「医」だけになってしまったのだと話してくれました。「医」は知識と技術, 「殳」は奉仕, そしてその下に鎮座するのは「酉」であり, ‘祀り’とか‘祈り’を表すのだそうです。日本人の私より日本語に精通していらっしゃり, その見識の深さに驚くとともに頭が下がりました。
さて, そういった意味で, 医師は, 科学者同様, 頭がよくなくてはならないのは当然ですが, 同時に, 患者を支えるという意味では損得勘定抜きに献身的でなければならず, 頭のいい人にはなかなかできない仕事であると言えます。さらに, 人体は宇宙よりも広いとも言われる通り, 未知の分野, 人知の及ばない領域が広いのです。そうなると科学の力では全く太刀打ちできない, 祈るしかない, といった場面も少なくないのでしょう。それを, 素直に認めなければないことは, 頭のいい医師には難しいことかもしれません。これから医師になることを志すみなさんにも是非一度「頭の良し悪し」について考えてみてほしいと思います。(D組校舎長:七沢英文)